埼玉各地で巻き起こる、うどん戦国時代
今回紹介する、とあるローカルフードとは「うどん」です。日本一のうどんの産地と言えば、香川県。県が「うどん県」に改名するというPR動画をネット上に公開するや、全国に「うどん県」の名が知れ渡りました。
しかし、その陰に隠れて、埼玉県がうどんの年間生産量が香川県に次いで全国第2位であることをご存知ですか?そのため、埼玉には各地域に根付いたさまざまなうどんが存在します。
例えば、川越市など埼玉南部の「武蔵野うどん」は太目でしっかりとしたコシが特徴。北東部の加須市でポピュラーな「加須うどん」は冷たいつゆで食べる盛りうどんです。
新1万円札の肖像として脚光を浴びた渋沢栄一は深谷市出身。同市の名物、薄くて幅の広い麺を醤油味のスープで煮た「煮ぼうとう」を愛したと言われています。ほかにも、埼玉各地で特徴的なうどんが存在し、今やうどん戦国時代とも言える状況です。
埼玉うどん文化の始祖、「麦王」とは?
そもそも、なぜ埼玉でうどん文化が定着したのでしょうか。それに触れずして先には進めません。
まずは地理的な要因が挙げられます。利根川と荒川の良質な水に恵まれ、日照時間も長いことから、埼玉は小麦作りに適した土地でした。農家には「朝まんじゅう、昼うどん」という言葉が伝わっているとか。朝はまんじゅうを、昼はうどんを作って食べる小麦食が古くから根付いてきました。
さらに、二つ目の要因は、今も県民から「麦王」と称される権田愛三の存在です。
権田は江戸後期、現在の熊谷市生まれ。当時、麦の生産は不安定で、人々はたびたび食料不足に陥りました。それを憂いた権田は、麦の安定増産のため研究を重ね、早春に麦の芽を踏む「麦踏み」や、米収穫後の「二毛作」を敢行。収穫量を4~5倍に増やすことに成功し、その成果を惜しみなく地域の農家に伝えました。
今も熊谷は全国有数の収穫量を誇る麦の名産地であり、同県産小麦を50パーセント以上使用し、地元で製麺された「熊谷うどん」は地産地消のブランドうどんとして全国各地で愛されています。
そして、「うどん共和国」が爆誕!
埼玉には、ご当地うどんが25種類存在するという説もあります。そのうどんの多様性、戦国時代を目の当たりにし、ついに埼玉県が動き出しました。なんと「うどん共和国」を宣言したのです。
そして現在は県内のうどんを紹介するフリーペーパー、各地のうどんをわかりやすくまとめたWEBサイトやキャッチーなPR動画で紹介しています。
さあ、皆さんも「うどん共和国埼玉」を訪れて、さまざまなうどんを食べ比べてみるのもいいかもしれません。いつかあの「うどん県」を打ち破り、うどん下剋上を果たす日が訪れることに思いを馳せながら……。