2022.02.15. | 

[Vol.2]初めて”おいしく見せる料理”をつくる楽しさを知った フードコーディネーター・西村麻佳さん

「高校生レストラン」で有名な三重県立相可高等学校を卒業後、希望通り食品メーカーに就職した西村さん。メニュー開発やスタッフ指導など、幅広い業務に携わり、やりがいも感じてたといいますが、数年後に現在の仕事であるフードコーディネーターへと転身します。フードコーディネーターを目指すことに決めた理由は何だったのでしょうか。そのきっかけから実際に活動を始めるまで、2019年に独立に至った経緯などをお聞きしました。

映画の料理監修を担当
その楽しさが忘れられなかった

現在フードコーディネーターとして多方面で活躍されている西村さんですが、フードコーディネーターという職業の存在を知ったのは、高校2年生のときだったといいます。

 

西村さん:三重県で映画「きいろいゾウ」の撮影があったのですが、「食卓のシーンを高校生がつくったら、おもしろいのではないか」という話が持ち上がったらしく、うちの相可高校に依頼があったんです。

もともとは参加メンバーがシーンごとに交代で行くことが決まっていたのですが、トップバッターになった私が現場へ行ったところ、スタッフさんも教える相手がひとりのほうがいいと思ったのでしょう、「次からも西村さんに来てほしい」と言われて、撮影期間中ずっと私が行くことになりました。

器は美術さんが用意してくださいましたが、それ以外の「どのシーンでどんな料理を登場させるか」を考えるところから、調理、盛り付けまでを任せていただきました。その後、映画に登場した料理を大戸屋さんで販売することになり、定食のレシピ作成もさせていただきました。

“おいしく見せる料理”をつくったのは初めての体験で、すごく楽しかったですね。それまでフードコーディネーターという職業があることを知らなかったので、「こんな仕事があるんだ」と衝撃を受けました。

 

高校卒業後に食品メーカーに就職した西村さんでしたが、その経験が忘れられず、フードコーディネーターを目指すことになりました。

 

西村さん:食品メーカーでの仕事も楽しかったのですが、ずっと「映画やドラマに出てくる料理をつくりたい」という気持ちがあって。「どうやったらフードコーディネーターになれるんだろう」と思い、映画のときにお世話になった美術さんに相談したところ、東京で活躍されているフードコーディネーターさんを紹介していただきました。

 

料理に対するインプットしかしてこなかった
「non-no」で流行を学ぶ

西村さん:食品メーカーの仕事を続けながら、お休みの土日を中心に、ご紹介いただいたフードコーディネーターさんに付いて、いろんな現場を経験させていただきました。初めてのことが多く、とても勉強になったのですが、CMをメインに活動されている方だったので、朝から晩までスタジオにこもる日々で。心からは楽しめていない自分がいました。

仕事が休みの日に名古屋から東京へ行くという生活も無理をしているところがあったので、今いる環境の中でできることはないかと考えはじめ、インターネットで「名古屋 フードコーディネーター」と調べていたところ、のちに師匠となる蓮沼あいさんを知り、蓮沼さんがTwitterで「今年はいいアシスタントに出会えないかな」とつぶやいているのを見て、すぐにDMしました(笑)。

アシスタントとして蓮沼さんの仕事を身近に見るうちに、いつかはフードコーディネーターとしてひとりでも活動できるようになりたいと思うようになりました。

アシスタントについて2ヶ月が経った頃、蓮沼さんから「これからはチームを組んで一緒に仕事をしていこう」と言っていただき、2人でチームとしての活動をスタートしました。

仕事の進め方など、はじめは全くわからなかったので、最初は蓮沼さんの打ち合わせに同席し、プロジェクトがどんなふうに進んでいくかをすべて見せていただきました。蓮沼さんにはフードコーディネーターの仕事を一から十まで教えていただきましたね。

 

約6年に及ぶ蓮沼さんとの仕事を振り返り、特に印象に残っていることを伺いました。

 

西村さん:アシスタントについてすぐの頃、蓮沼さんに「遊んでなさすぎる」と言われたことを覚えています。同世代の女の子がターゲットのプロジェクトもあるから、彼女たちが今どんなことに興味があるか、どんなことを楽しいと感じるのかを知るために、「毎月non-noを買ってみて」と。

それまでは朝から晩まで料理という生活。1万円を握りしめて高級なレストランに行ったりなど、料理に対するインプットはしていましたが、それ以外はまったくだったので、雑誌を読んで流行を知るのは新鮮でしたね。定期的に休みをいただけたので、旅に出たり、人気のスポットに行ってみたりもしました。

 

名古屋時代には、食を楽しむコミュニティ「NAGOYAたべる部」を主宰していた西村さん

同世代のクリエイターと一緒に仕事をしたい
「えいや!」と上京

西村さんは2020年9月、25歳のときに独立し、名古屋から東京に拠点を移しました。そのきっかけは何だったのでしょうか。

 

西村さん:コロナ禍で東京での撮影が難しい状況になったことで、東京のチームが名古屋で撮影をする機会が増え、私にも依頼をいただくようになったんです。名古屋ではクリエイティブの仕事をしているのはベテランの方ばかりですが、東京のプロジェクトでは同世代のクリエイターが多く、たくさんの刺激を受けました。

もともと東京で広告の仕事にチャレンジしたいという気持ちはありましたが、さらに同世代のクリエイターたちと一緒に仕事をしたいという気持ちも加わって。名古屋が好きなので通いながらできないかとも考えたのですが、やはり物理的な距離も大事だと思い、「えいや!」と東京へ飛び込みました(笑)。

そんな感じだったので、最初は東京の仕事はほとんどなく、苦労しました。名古屋時代からお世話になっていた仲の良いカメラマンさんなどに仕事を振っていただいたり、共通の知り合いを通じて営業をさせていただいたりして、徐々に依頼が増えていきました。

 

次回は2/17(木)に公開予定です。西村さんが昨年携わったスープダイニング「NOUMU」のフードプロデュースについて詳しく聞いていきます。(つづく)

 

– Information –

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ライター / 上條 真由美

長野県安曇野市出身。ファッション誌・テレビ情報誌の編集者、求人広告のライターを経て、フリーランスとして独立。インタビューしたり、執筆したり、平日の昼間にゴロゴロしたりしている。肉食・ビール党・猫背。カフェと落語が好き。

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