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Food Experience Story
2025.09.04. | 

[Vol.1]日本の美意識と価値観が発想の原点。紙の器 『WASARA』プロデューサー・田辺三千代

初めて手にしたときの、その繊細さと陶器のような気品。すっと手になじむ心地よさを感じる日本の美意識と価値観から生まれた“紙の器”「WASARA(ワサラ)」。

「WA(わ / ワ / 和 / 倭 / 輪 / 環)」と「SARA(さら / サラ / 皿 / 更 / 新)」というふたつの言葉を掛け合わせた名には、日本的な調和や循環への意識、そしてまっさらな器に込められた無垢さや神聖さ、そんな意味が込められています。

また植物の繊維から生まれたWASARAは、使い終えたあとコンポストで土へと還すことができるという「小さな循環」も。私たちMo:takeが携わるケータリングなどの現場では、美しさと機能性も備えた紙の器「WASARA」が、“さりげない存在感”で豊かに、そして華やかに食を起点とした空間を演出します。

そんなWASARAをプロデュースしたのが、ファッションブランドの広報やカフェの運営など、さまざまな領域で感性を磨き、活躍し続けてきた田辺三千代(たなべ・みちよ)さんです。近年では、ラグジュアリーなイベントをはじめ、さまざまな食のシーンで目にする機会が増えてきたWASARA。一体どのようにして生まれたのか。

田辺さんの足跡をたどりながら、WASARA誕生の背景にあるストーリーを全3回にわたってお届けします。

明治生まれ「手ぎわの良い」祖母に学んだ、食と暮らしの基本

田辺さんは1984年から、メンズデザイナー菊池武夫さんと共に『TAKEO KIKUCHI』ブランドの広報全般を統括するチーフプレスとして支えてきました。

そして1999年には週末の家がある河口湖から、西湖で「CAFÉ M」を開業し、2002年には、隠れ家的な“都会のラウンジ”をコンセプトとしたカフェ「モントーク」の立ち上げにも関わるなど、多彩な分野で活躍されてきました。Vol.1では、さまざまな経歴を持つ田辺さんのルーツをたどります。

 

−−田辺さんは、ファッション業界や飲食業界など、さまざまな分野で活躍されていますね。次々と新しいフィールドに挑戦されている田辺さんのエネルギーの源には、きっと生い立ちが関係しているのでは?と思います。まずは、田辺さんご自身の原点となる子ども時代について、お話を伺えますか?

田辺さん:私は洋裁学校を営む母と、ピアノの会社を経営する父のもとに生まれました。両親は仕事で忙しかったので、幼いころは、明治時代に新潟で生まれ育った母方の祖母に、家事のこなし方や食の基本について教えてもらいました。

 

−−明治生まれのお祖母様はどんな方だったんですか?

田辺さん:しっかりとした素敵な方でした。祖母が生まれ育った明治の新潟は、ものすごく景気が良かったんです。驚くことに曾祖母は貸金業を営むほど、たくましい人で、その当時の女性にしては、とても「やり手」だったんですよ。

そんな祖母は、医者の息子として裕福な家庭で生まれ育ち、歯科医の祖父と結婚しました。でも、祖父はとにかくお坊ちゃまで気質で、お家のことは何もできないんです。祖父を献身的に支え続けていたような祖母なので、家のことをせかせかと何でもこなしてしまうような人でした。

 

−−仕事も家事も、何をするにしても「手ぎわの良い」お祖母様だったんですね!多彩なキャリアを積まれる田辺さんにも通じるところがあるような気がします!

田辺さん:確かに祖母のたくましい気質を、私も受け継いでいる気がしますね(笑)。

 

−−ちなみに食についても、お祖母様からの影響はあるのでしょうか?

田辺さん:祖母は料理が本当に上手な人でした。私はそんな「祖母の味」で育ってきたんです。今の時代、食べ物はなんでも手軽に買えることが多いですよね。でも、明治生まれの祖母にとっては、全部手作りするのが当たり前でした。だから私は、幼い頃は手作りのものばかりで育っているんです。今考えれば食に関して、すごく恵まれていたと思います。

 

−−手作りのお料理はいいですね!そんなお祖母様の料理の中で、特に印象に残っているものはありますか?

田辺さん:好きな料理は「ぬた」というお味噌にお酢や砂糖を加えて、和え物にするという一品です。私には、そういう昔ながらのちょっとした一品が特に印象に残っていますね。

他にも祖母はとても料理上手だったんですよ。私は今でも祖母の味を追及していますが、どうも違うものになってしまって、未だに祖母の味をうまく再現できずにいます。

 

−−やはり再現するのは難しいものなんですね。今はレシピサイトなどが豊富で簡単に細かな情報が手に入りますが、昔の家庭料理は感覚的で、この調味料は何グラムといったように決まっているわけではなさそうですよね。

田辺さん:そうですね。すべては自分の舌や感覚で覚えていくものですよね。仕事も実際に見て聞いて、経験しながら覚えていくように、料理だって同じだと思います。そうしたことをずっと継続してきた昔の人って本当にすごいと思いますよ。

自然に対する敬意、つまり畏怖の念(いふのねん)とでもいいましょうか。それらが一番大切だと教えてくれたのも祖母です。その教えは今も私の中に生き続けています。

 

「なんで泣いてたんだっけ?」執着しない子ども時代

−−生きるための知恵や感性の原点は、お祖母様から自然に受け継がれていったということですが、そんな環境の中で育った田辺さんは、どんなお子さんだったのでしょうか?

田辺さん:私は何事も大ざっぱな性格でした。私には妹がいるのですが、彼女はとても頭がよくて、何事にも細かいんです。親には「少しは妹を見習ったら?」とよく言われていましたね(笑)。

それと、何かを始めても、途中で興味が無くなると、迷いなく辞めるという判断をして、今度は別のところに向かっていたり。そうやって自分が行きたい方へいくという判断をするような子どもでした。

 

−−意外でした!その瞬間に惹かれるものに向かっていく性分だったんですね。

田辺さん:そうですね。私は子どもの頃から比較的何かに執着することがなかったんです。

例えば、叱られて泣いていても、しばらくすると「なんで泣いてたんだっけ?」と、忘れてしまうんです(笑)。でもそれは今でも同じで、色んなことに執着しません。

だって、今あるものはどんなものであれ、いつかは無くなり、諸行無常ですから。人生ってそういうものじゃないかと思っているんですよね。

 

−−子どものころから、人生の本質を直感的に捉えていらしたんですね。

 

就職せずパリへ。“遊び”から得た感性と美意識

−−ご経歴を拝見すると、田辺さんは文化服装学院デザイン科を卒業後、21歳のときに、1年間パリに行かれたそうですね。どうして就職でなく、パリへ行こうと考えたのですか?

田辺さん:行きたい会社が1つもなかったんです(笑)。行きたい会社でもないのに無理に就職したら、雇った会社側は困りますよね。だから、まだまだ若いし、「よし!パリに行こう!」と思ったんです。

 

−−ここでも、行きたい方へ舵をきるという判断をしたわけですね!実際のパリの生活で、田辺さんはどんな影響を受けましたか?

田辺さん:もう、価値観がすごく変わりましたね!パリでは、通っていた学校の友人をはじめ、その他、学校以外の友人にも様々な人種の人がいたので、色んな価値観を知ることができたんです。

日本のような単一民族社会とは違い、パリは本当に多様性に富んでいて、食のスタイルも表現もとにかく自由でした。そういう環境で生活する中で、自分にとっても新しい価値観が出来上がりましたね。

そしてパリでは、はっきり自分の意思を伝えたり意見を言うのが基本で、それはかっこ悪い、これは美味しい、このやり方が良い―そういうことをはっきり言うわけです。他人のことを気にして、黙っているなんて発想はありませんでした。そういうのが私の性格にすごく合っていたんだと思います。

 

−−パリはそういう様々な人種や文化が入り混じっているからこそ、自己表現や他者との違いを受け入れる土壌があるのですね。そんなパリではどのような暮らしをしていたのですか?

田辺さん:パリでは一応学校にも通っていたのですが、私はとにかくいっぱい遊んでたんです!もう本当に遊んでばかりでしたね(笑)!

そもそも私は、パリに行く前の10代の頃から東京でも、ミュージシャンなど有名人が集まる、普通ではなかなか入れないような場所でよく遊んでいたんです。そういうところに出入りしていくうちに、その後の私の人生で深く関わらせていただく菊池武夫先生もいらっしゃったんです。

 

−−菊池さんとはパリに行く前に知り合っていたんですね!すでに10代から、そういった界隈で遊んでいた田辺さんが、パリではどんな場所で遊んでいたのか、気になりますね!

田辺さん:パリでもやっぱり同じような遊び方をしていましたね。普通のところではつまらないから、東京で遊んでいた「一見さんお断り」のような特別なお店がパリにも絶対にあるはずだと思って、周りの男友達に聞いてみて探したんです。するとその友達が「1軒だけある」って言うわけですよ!

 

−−えっ!本当にそんなお店があったんですね(笑)!

田辺さん:そうなんです!でもそこは、女性1人では絶対に入れないお店だというので、男友達3人を連れてドキドキしながら一緒に行ったんですよ!そこのお店はまずお店に着くと、入口のドアには小さな飾り窓があって、その窓からセキュリティスタッフがチラッとこちらを見るんです。そこで入れるかどうかを判断されるわけですね。

 

−−おぉ!ドキドキします!まるで映画のワンシーンみたいですね!

田辺さん:面白いですよね!そうしたらなんと、運よく入れてくれたんです!早速お店の中に入ると、扉を入って1階にはまず、素敵な人たちが集まる静かなレストランがあって、レストランを抜けて奥にある螺旋階段を降りると、地下がクラブになっていました。

そこの地下のクラブに行ってみたら、クラブなのにとっても静かだから、「どこが楽しいんだろう?」と思って、しばらく様子を伺いながら周りを観察していたんです。

そうしたら夜12時を過ぎたあたりに、なんとファッションデザイナーのイヴサンローランやカール・ラガーフェルド、そしてその時代のスーパーモデルたちが続々と入ってきたんですよ!もう、衝撃的でした、そこはなんとパリ屈指の秘密のクラブだったんです!

そのお店は、流れる音楽もセンスがよくて、店内にいる有名人も見てるだけでかっこよかったですね。私はそれ以来、そのお店のとりこになりました!

当時は日本人の女性が珍しかったのか、そうやって通っているうちに、そのうちお店の方にも顔を覚えてもらえて、気づけば顔パスで入れるようになったんです!そのお店は今はもうないんですけど、本当に面白かったです!

 

−−名だたるデザイナーやスーパーモデルなど、ファッション業界の一流の人たちが集まる秘密のクラブ…お話聞いてるだけで、ワクワクしますね!!なにかそのお店での経験から、田辺さんが学んだことはありますか?

田辺さん:そうですね、ちょっとした出来事が縁で学びにつながったことはありますね。

ある時、そのお店のダンスフロアで踊っていると、後ろから服を思い切り引っ張られたことがありました。それで私は、バランスを崩して、よろけた先で誰かの膝の上に落ちてしまって。すると、そこにいたフランス人の男性が、私にフランス語で何か話しかけるんです。

でも早口で何を言っているかわからないので「私は日本人だから、ゆっくり話して」とお願いすると、彼は「えっ!?ベトナム人じゃないの?」と言ってきたんです。

もともとベトナムは、フランス領だった歴史があります。だから、パリにはベトナム人がすごく多かったというのもあって、私のことをベトナム人だと勘違いしたんだと思います。

その彼は男女3人のグループで来ていたんですが、私はその日をキッカケに、彼らと仲良くなって、一緒に過ごすことが多くなりました。あとで聞いたところ、私の服を引っ張った彼は、パリの中でも一番の高級住宅街といわれる16区に住む、お医者さんの息子だったんです。

そんな彼は、ものすごく知識が豊富で、なによりもカジュアルな着こなしでファッションもかっこよかったんですよね!私は彼を通じて、かっこ良いものや、そうでないものの基準を色々と学びました。

ただ勉強しててもわからないことは、本当にたくさんあるんですよね。こうした出会いのひとつひとつが、自分にとっての学びや経験につながっていくんです。だから、やっぱり人は遊ばなきゃダメなんですよね(笑)!

 

−−田辺さんのお話を聞いていると、「行きたいところに行って遊ぶ」ことの大切さがひしひしと伝わってきます。ただ…田辺さんの場合、その“遊び”がもう、遊びのスケールを超えている気がします(笑)!

 

明治生まれのお祖母様から受け継いだ、丁寧な暮らしと手しごとの精神。そしてパリで出会った自由で多彩な価値観と、本物の“かっこ良さ”に触れる遊び。田辺さんのお話からは、ひとつひとつを五感で感じ取りながら、感性や美意識が幾層にも積み重ねられていく様子が伝わってきました。

Vol.2では、帰国後に田辺さんがファッション業界へと身を投じ、あの菊池武夫さんのブランド「TAKEO KIKUCHI」のチーフプレスとして活躍された日々、そしてそこから「WASARA」へとどのように繋がっていったのか、その道のりについて伺ってきます。

→Vol.2はこちら

 

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