“界隈”が生んだつながり
藤野駅から車で10分ほどの場所にある『虫村』。車を降りた瞬間、鳥のさえずりと風にそよぐ木々の音に包まれ、思わず深呼吸したくなるような澄んだ空気が広がっていました。
そこへ、「お疲れ様です!ようこそ!焚き火を準備してお待ちしていました!」と元気な声で迎えてくれたのは、中村真広さん。彼の無邪気な笑顔に、私たちの顔もほころびます。
この対談はカフェ『カドナリ』の立ち上げがきっかけ。
しかし、中村さんと小野の関係は一朝一夕のものではなく、実は2010年頃、まだ「場づくり」という言葉すら一般的でなかった時代から始まっていました。
ーーお二人は旧知の仲で、一緒にお仕事をするのは本当に十数年振りだそうですね!今日はいろいろ濃いお話を伺えるのではと、楽しみにしておりました!改めてお二人はどのような縁で出会ったのか、まずはそこから教えていただけますか。
小野:ではまず、僕からお話ししますね!中村さんに出会ったのは、今うち(Yuinchu)でクリエイティブをやっているメンバーの紹介だったと思います。
そこで、中村さんから池袋で飲食店を立ち上げるからサポートして欲しいという相談を受けました。でも当時の僕はまだ起業していなくて、勤めていた会社の中でレンタルスペース事業をやっていた傍ら、店舗の立ち上げをお手伝いしていたんですよね。
中村さん:改めてあの時は、お世話になりました!
その頃の僕もまだ起業前でしたが、世代が近い仲間たちと立ち上げた飲食プロジェクトで、恐らくその彼(Yuinchuのクリエイター)に小野さんを紹介してもらって、サポートしていただいたんですよね。
当時は、コト起こしで何か成し遂げようという仲間が集まるコミュニティのようなものがあり、紹介してくれた彼もその“界隈”での繋がりでした。
ーーなるほど!そういった“界隈”の繋がりがあって、中村さんは小野さんと出会ったんですね。そこから今回の『カドナリ』まで、プロジェクトで一緒になることはなかったのでしょうか??
中村さん:はい、ご一緒することはなかったんですよね。
僕はその飲食店立ち上げのあと、起業(「ツクルバ」を創業)し、とにかく“がむしゃら”に仕事をして、気づけば資本主義の世界にどっぷり浸かっていました(笑)!
小野:でも中村さんは、あえて資本主義のど真ん中にいった感じはありましたよね!
でも将来的にまさか、こんな自然の中で中村さん自身が描く暮らしを体現する場(村)を作るとは想像していなかったですけどね(笑)!
中村さん:そうですね!自分でも資本主義の世界のなかで生きていくんだろうと思っていましたが、なぜか今こっちで村をつくっていますね(笑)!
ーー人生なにがあるかわからないものですね!でも都市で起業してから、いつかは今のように自然の中で暮らしたいという想いはあったのでしょうか?
中村さん:全くありませんでした!むしろ都心に住んで、 住まいにおける東京的なリノベーションの流通プラットフォームや『co-ba』のようなコワーキングスペースなど、なにか世の中的に半歩、先っぽいものをサービス化することをスタートアップの手法でやっていくところに喜びを感じていました。
そんな風に仕掛けているのが楽しい!と思っていたし、スタートアップが若者の働き方の一つのあり方として、徐々に確立されていく時期でもありました。本当に今の生活は、想像すらしていませんでした。
小野:たしかに当時は“スタートアップ”という文化的なものの黎明期といえる頃でしたよね。今ほど、ベンチャーやスタートアップというカタチにみんながみんな慣れているわけではなかったと思います。だから、その中でも中村さんたちはちょっと先をいくというか、流れに乗るのが早いという印象を持っていましたね!
成長を目指して、挑んだスタートアップゲーム
中村さん:どうでしょう…僕ら学生の頃だと堀江貴文さん世代がやっぱりグイグイやっていて、僕らはその世代のひとまわりくらい下の世代になるんですよ。
そして3.11(東日本大震災)をきっかけに「起業しようぜ」みたいなこと言っていた界隈で、スタートアップが今ほど洗練された業界でもありませんでした。起業をして自分たちにしかできない価値を届ける!というような想いをもった若者たちがゴリゴリにチャレンジする。
のし上がるためには、「お笑い芸人になる!」「あの起業家みたいになる!」といった勢いをもつ仲間たちと一緒に、「主流じゃなくてもいい。」そんな思いで、いろんなことに挑み続けていた“界隈”でした。
僕もその中のひとりとして、『co-ba』を立ち上げて起業家仲間と出会い、そこからまた繋がりが広がったり、当時の“界隈”の繋がりはやっぱり強かったですよね。
小野:うん!その界隈は、エネルギーに溢れていましたよね!
コミュニティというほどでもないけど、僕らからするとどういうことをしたいのかはわかるけど、そのやり方が主流ではなさそうな“界隈”に、どう迎合していいかわからないという感覚はありました!
中村さん:それでいうと、もともとツクルバも『co-ba』の頃は、全然スタートアップではなかったんですよ。僕たちは『co-ba』は主にクリエイターが共創するシェアオフィスというイメージではじめたんですけど、蓋を開けてみたらスタートアップの人ばかりで驚きました。
その頃には、個人の投資家が、若い起業家に投資するという時代の流れも生まれてきて、『co-ba』の会員にもそういう人たちから資金調達を受けて、会社を成長させる人たちがどんどん出てきていました。
中村さん:一方で自分たちも仲間も増えて、事業も順調で楽しいけど、段階的な成長でした。でも社会を変えるインパクトのあることをしたいと思っていたのに、「この延長でそれができるのか?このままでいいのか?」と考えるようになっていましたね。
だから僕たちがスタートアップの新しい流れに乗っかろうと舵を切ったのはどちらかというと後発でした。
資金調達をして早いスピード感のなかで会社を成長させるという事例を知って「僕らも負けられない!」という想いが芽生えてからだったんです。
小野:そうだったんですね!確かに当時は資本主義の戦いにあえて参加するっていう意志を持って事業を拡張していく人たちと、例えば個人で一つの店舗にものすごくこだわってやっていくような、ディティールを追求する人たちがいたように思いますね。
どちらかというと僕は後者よりの考えをもっていたほうですが、『co-ba』でいろんな起業家たちと出会うことで、未来にも影響するような刺激をうけていたんですね!
中村さん:そうですね、選択肢は広がりましたね、ただスタートアップ的なルートを選んだっていうのは、20代ならではの男心もあったんだと思います (笑)。
今の自分だったら、“成長とは何か”という哲学的な問いが頭をめぐってしまって、同じルートは選ばなかったかもしれませんね。
なんなら成長しなくても、循環型のこだわりが詰まった店舗を自分の一生をかけて1個作り切るみたいなことも、すごい素敵だと今なら思えるんです。
20代の頃は「もっとやってやろう!!」みたいな勢いもあっての選択肢かもしれませんね!
都市を離れて、“もうひとつの経済圏”へ
スタートアップ黎明期のエピソードから、当時の熱気あふれるスタートアップ“界隈”の話まで、都市で資本主義社会を駆け抜けた中村さんの歩みを伺ってきました。ここからは視点を都市から地域へと移し、中村さんがなぜ藤野という場所で暮らしはじめたのか。その経緯から話を聞いていきましょう。
ーーこれまで資本主義のど真ん中で生きてこられたわけですが、ツクルバの共同代表を退任して、なぜ藤野で生活をするようになったのですか?
中村さん:この場所を選んだのは、藤野に教育移住をした『co-ba』の初期の会員さんから「藤野は良いよー!」ということを当時から聞いていたというのが最初のきっかけですね!ただ「暮らし」を根本から変えた理由はすごく複層的なんです。移住する前はずっと東京に住んでいました。
そして子どもが生まれて、犬も飼いはじめた頃から、週末になると東京を離れてファミリーでのグループキャンプをよくやるようになっていったんです。
でも当時、自然の中で過ごす時間はすごく楽しいけど、行きも帰りも大渋滞にハマりながら「なんでこんな思いをしてまで東京を出ているんだろう」という感情も芽生えてきて、「それなら最初から自然のある場所へ住んでいればいいのか」と思ったのが理由の一つです。
もう一つ理由として大きかったのが、会社の上場準備と子育てが始まったタイミングと重なって、自分の中で“生き方”ということを見直す時期でもあったということですね。
そんな中で感じたのは、“モノの価値”や“人の時間”が、すごくはっきりと数値化されていく世界の構造への問いでした。
上場は、会社をより広く社会に開いていくプロセスでもあるけど、その一方で会社も一つの商品となり「株価」がつく存在になります。また、組織の制度も精密になっていき、「人材価値」として表現される明確な“ラベル”がどんどん貼られていきます。
確かにスキルが高くて経営に近いところで活躍している人の年収は高いけど、じゃあ年収が低いメンバーは人間的に劣ってるのか?って言ったら、絶対にそんなことはないわけです。
それは資本主義の中の仕組みとしては合理的なんだけど、ふと立ち止まったときに、僕にはそこの枠組みに収まりきらないものがたくさんある気がしたんです。
ーーたしかに、資本主義経済の仕組みの中では、人や時間に“値段”がついてしまうのは自然なことかもしれませんね。でもその中で、何を大切にして、どんな風に価値を捉えていくのかというのは、今の社会全体にも通じる問いのように感じます。
中村さん:そうですね。でも、人材市場の“相対的な値付け”のなかでは、どうしてもそう見えてしまうという側面があるんですよね。
そうすると、会社も自分たちが作ってきた“場”も、人や時間までもが“商品”になっていってしまうというか。終いにはもう自分の人生すらも、商品になっていく感覚というのも感じるようになっていました。それが資本主義のルールなんだろうと頭で理解しつつも「なにか違うな」と違和感を覚えていたんです。
これが子育てに対する考えにも影響しているんですよね。
お受験や進学も立派な選択肢だし、自分はそうしてきたけど、「そもそも“人材価値”って何なんだろう?」、幼いころから“競争の土俵”に乗せることだけが正解ではないんじゃないかと。
また改めて東京の暮らしを見渡したときに、「お金で買えるものはたくさんあるけど、お金で買えないものがほとんどない」っていうことにも、ふと気づいたんです。
たとえば子どもが病気になったとき、隣近所に「ちょっと子どもを見てくれる?」って頼める人がいればいいのに、結局はお金を払ってベビーシッターさんにお願いするなど、誰かの“時間”を、お金さえあれば解決できてしまうこともありますよね。
暮らしの中で出てきた課題をお金で解決できたりと、お金があれば東京って“楽しい場所”なのかもしれないけど、気づけばお金を使わなきゃ楽しめない場所になっているなと…。
自分はあえて資本経済から少し離れた場所に身を置いて、違う“価値の流れ方”を体験してみたいと思ってしまったんです。
そんななかで、ツクルバの共同代表を辞めて、暮らしも働き方も丸ごと見直すサイドチェンジを決めました。
ーー都市と自然を行き来することで、さまざまな気持ちが交差していったんですね!
小野さんも今は都心に限らず地方エリアに行くことも多いと思うのですが、今の中村さんのお話をきいて共感するところも多いのではないのでしょうか?
小野:そうですね!本当に都市と自然豊かな地方をあえて俯瞰して見ると、ほとんど同じような感覚を覚えます。
ただ、ひとつ違うとすれば、自分には「今、バランスを取らないとやっていけない」っていう感覚があるんですよね。
たとえば、会社を成長させていきたいという気持ちもあれば「自然ってやっぱりいいな、自分らしいライフスタイルを模索したいな」っていう気持ち、その両方が自分の中にずっとあって、日々その“あいだ”を行き来しているような感覚なんです。
中村さん:小野さんはずっと“中庸”なイメージがあります!企業的な思惑と、個人としての表現や活動。そのちょうど真ん中を、長年かけて追求してきた印象があるんですよね。「自然と都市のあいだ」っていう意味でも、都市に自然があれば公園だけど、自然の中に自然があるのは当たり前の景色です。
でも小野さんは、その“あいだ”に人が交わるきっかけを生み出す場をつくってきた感じがします。
自分は一時期、極端に資本主義側に振って、そこから逆に“あいだ”に気づいたという流れなんですが、小野さんは最初からそこにいるように思うんです。
小野:確かに、そうかもしれませんね。僕の場合、たとえばコーヒースタンドなどを通じた場づくりでは、都市の中の空間を、誰もがふらっと立ち寄れて、自分らしく過ごせる“公園のような場”にしていくことを意識しています。そのために、人が“自然”と関わるキッカケをつくる装置として、カフェやコンテンツを少しずつ差し込んでいますね。そういう営みが、自分なりの「場づくりへの関わり方」だと思っています。
中村さん:なるほど!その違いって、「自然の中に人の営みを埋め込む」か、「都市の中に自然を差し込む」か、という重心の違いだけかもしれませんね!
小野:そうかもしれません。改めて、自分はずっとその真ん中を生きている感じがしています!逆に中村さんって、出会った頃からずっと何事にも楽しんで“無邪気”でしたよね。悩んだりします(笑)?
中村さん:いや、悩みますよ〜!
小野:でも、動き出したら迷わずやりますよね!?
中村さん:あっ!はい、それは確かにそうですね(笑)!!
資本主義の真ん中と自然。そのあいだを行き来することで見えてきたのは、都市にはない「暮らしのあり方」でした。
次回Vol.2では、中村さんが藤野で立ち上げた「虫村(バグソン)」を舞台に、貨幣を使わず“感謝”でめぐる経済のカタチや自然の力を活かした暮らしについて掘り下げていきます。「自分らしい生き方」とは何か。日々の暮らしから立ち上がる、もうひとつの経済のカタチを探ります。
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