全国に知れ渡る大阪グルメ…じゃない!?
たこ焼き、お好み焼きに代表される「粉もん」、二度付け禁止の「串揚げ」、あっさり優しい味わいの「肉吸い」など、大阪の食文化は、ご当地グルメの枠を超え、日本中にその名を轟かせています。
しかし、今、大阪に行ったらこれ食べとけ! というものはこの中にはありません。地元の人にうまいもんを聞いてみたら、あるメニューが、その地位を確固たるものにしていることがわかりました!
大阪で生まれた◯◯やさかい…
大阪で今食べるべきもの、それはカレーです。しかも、「スパイスカレー」と呼ばれる、いわゆる欧風カレーなどでよく使うカレー粉やカレーのルーを使わずに、スパイスを駆使して作るカレーです。
そもそもなぜ大阪でカレーなのか?
そのルーツは、明治時代まで遡ります。カレーが日本に入って来た当時、多くの日本人はご飯の上に液体がのっていることに抵抗がありました。ただし、大阪人だけは「新しもん好き」の精神でいち早く飛びついたのです。
国産カレー粉の第1号は、1905(明治38)年に大阪で誕生しました(大阪の薬種問屋・大和屋=現ハチ食品)。さらに、1910(明治43)年創業の「自由軒」では、ご飯にカレールウを混ぜ込んだものに生卵を乗せ、混ぜて食べるメニューが作られ、100年以上経つ今もお店の看板「自由軒カレー」として愛されています。
1968年には、大阪の企業である大塚食品から、世界初のレトルトカレーである「ボンカレー」が発売されます。日本カレー文化のルーツとも言える大阪で、スパイスカレーが生まれたのは必然かもしれません。
さらに、サービス精神旺盛で「人と違ってナンボ」という多様性を尊重する大阪人ならではの自由な気質に、スパイスの掛け合わせでアレンジしやすいスパイスカレーはまさにぴったりのメニューでした。
スパイスカレーは1992年にアメリカ村で開業した「カシミール」が発祥とされていますが、2000年代以降、提供するお店が増えていきました。
2025年の今も、多種多様で、もはや自己表現のひとつとも言えるようなスパイスカレーが大阪の至るところで生まれています。余談ですが、あのコロナ禍の、緊急事態宣言を挟んだ3カ月間でもカレーのお店の数は増え続けたといいます。今やスパイスカレーは大阪の食文化の新定番として愛されているのです。
そして食いだおれ文化はミャクミャクと続く
大阪スパイスカレー文化の繁栄には、実は万博が大きく関係しているといわれています。1990年に開催された『国際花と緑の博覧会』、いわゆる花博と呼ばれる万博です。
花博では「宝石と紅茶とスパイス」をテーマにしたスリランカ館が好評を博し、それをきっかけに日本に残ったスリランカ人シェフとその仲間たちが、次々と本格的なスリランカ料理店をオープンしました。日本の鰹節に似た食材を使い、香りとうまみを活かすのが特徴のスリランカ料理が、辛さだけでなく、旨みを大切にする大阪スパイスカレー文化に大きな影響を与えたといわれているのです。
大阪は、古くは「天下の台所」として、日本全国、あるいは世界中から豊富な食材が集まり、食文化の中心地として栄えてきました。その歴史は文字通りミャクミャクと続き、「食いだおれの街」は今も進化を続けています。
大阪万博に国内外を問わずたくさんの人が訪れる2025年。大阪万博では、どこの国の料理がフォーカスされ、大阪グルメを刺激し、変化をもたらすのか。それも大きな楽しみですね!