毎食のごはんは豆腐。ある日近所のお豆腐屋さんがなくなった
まめちゃんと豆腐との特別なつながりは、幼少期に遡ります。
工藤さん(以下、まめちゃん):小さい頃は偏食がちで、白米が苦手だったんです。困った両親が、白米の代わりにお皿にお豆腐を乗せてくれてました。牛乳も苦手だったので、父が毎朝、近所の豆腐屋さんから豆乳を買ってきてくれていたんです。起きる頃にはすでにしぼりたての豆乳が冷蔵庫に入っている、という子ども時代を過ごしました。
ところがある日、ずっと頼りにしていたお豆腐屋さんが廃業してしまい、まめちゃんは衝撃を受けます。
まめちゃん:小学3年生の頃だったか、ある日父が「あのお豆腐屋さん、辞めるんだって。」と。小学生のわたしには、お店がなくなるというのは衝撃の体験でした。もう来週から、豆腐も豆乳もあのお店では買えないんだ、って。自分の好きな豆腐が手に入らなくなってしまうことへの危機意識が芽生えたのは、この体験からだと思います。
まめちゃんは、のちに豆腐屋さんとのつながりを深めていく中で、豆腐屋さんの経営状況の厳しさや事業継承の難しさといった問題を知ることになります。
ボーダレスな食品、豆腐を通じた文化交流
まめちゃん:何かを通じて文化交流をする、ということに興味があって、大学では日本語教育を学びました。言葉を伝えるということは、その中身である文化ごと伝えるということでもあります。とはいえわたしは書道も生け花もやっていない。何があるんだろう?と思っていた時に、「そうだ、豆腐がある!」と。
植物性の食べ物である豆腐は、宗教上の制約からも、また、様々な食のポリシーからも自由な点も魅力でした。
まめちゃん:豆腐ならボーダレスに行ける!と思ったんです。それで、大学院に進んですぐに豆腐マイスターの資格をとりました。
作り手と食べる人、世界と日本を「豆腐」でつなぐ
まめちゃんが豆腐業界に飛び込んだのは、そんな頃でした。
まめちゃん:豆腐マイスター講座を開催したり、全豆連(全国豆腐連合会)さんに出入りしてお手伝いをするようになりました。そこで出会った豆腐屋さんのお話を聞くうちに、豆腐屋さんの大変さを知ったんです。
お豆腐は高くても1丁300円程度。楽して儲かることはない商売です。「自分は家業だからと思ってやってきたけれど、息子にはとても継がせられない」という声をよく聞きます。また、機械が故障してしまったタイミングでお店をたたむ人も多いです。買い直したとしても、その後回収に20年かかってしまう。そこまでは働けないから、と。
一方で、まめちゃんは、これまで知らなかった作り手側の思いも知りました。大豆ひとつとっても「うちの豆腐はこの大豆」というこだわりがあること。大豆の農法以外にも、豆腐の加工に適しているかどうか、という基準があること。まだ見つかっていない品種を使ってみたい、農家さんと連携して地元の大豆を使ってみたいと、新しいことに挑戦してみようとする人もいます。
まめちゃん:本当にいろんな豆腐屋さんがいて、個性がある。味にもそれが反映されています。
経営難や店舗数減少の陰でそういった個性が失われ、「豆腐なんてどれも同じ」と思われるようになっていってしまうことには、大きな危機感を抱いています。だからこそわたしは、豆腐屋さんの個性が生かせるよう、発信を通じてお手伝いをしていきたいと思っているんです。
作り手と食べる人をつなぎ、日本と世界をつなぐまめちゃんの活動は、今年で6年目になります。
次回は4/16(火)に公開予定です。
次回は、まめちゃんが思い描く「豆腐の未来」、その実現のためにやってみたいことについて、詳しくお伝えします。(つづく)
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「まめちゃんのダイズバーズシティ計画!」