
渡米で決断したプロへの道
今回の取材は、以前Mo:take MAGAZINEでもご紹介した、土に還る器「WASARA」のプロデューサー・田辺三千代さんからご紹介いただいたことがきっかけでした。
晴天に恵まれたこの日、編集部は少年キャンプFarmを訪れました。
八ヶ岳の雄大な景色が広がる中、まずは檀さんご自身のことからお話を伺いました。
−−本日は宜しくお願いします!早速ですが、はじめにご出身など檀さんご自身のことからお伺いできればと思います。
檀さん:僕の出身は福岡県の博多です。でも親父がすぐ東京へ行ったので、育ちはほとんど東京ですね。マウンテンバイクを始めたのは高校生の頃です。当時は学校へ行っても、マウンテンバイクのことばかり考えているような学生でした。
−−もう、その頃からマウンテンバイクに夢中だったんですね。
檀さん:そうですね(笑)。進学校に通っていたので、周りは国立大学へ行くのか、私立大学へ行くのか、教室では大学受験の話題ばかりだったんですが、僕はマウンテンバイクのことしか考えていなかったんです。
授業が終わると、とにかく早く乗りたくて、頭の中はいつもそのことでいっぱいでした。そんなこんなで結局、大学へは進学せず、高校卒業後は渡米することにしました。
−−その決断に対してご両親はどんな反応だったんですか?
檀さん:親には相当怒られました(笑)。でも、その時は本当にマウンテンバイクしか見えてなかったんです。当時の日本って、みんな未来とか理想の都会とか、上ばかり見ていた気がするんです。良い大学へ行って、良い会社に入って、都会で成功する。そんな価値観が今よりもっと強かった時代だったと思います。みんなが都会を目指していた時代だったんじゃないですかね。でも、マウンテンバイクを通して見えてくる世界は全然違いました。
休みの日になると山へ行って、自然の中を走る。街の中にいる時とはまったく違う面白さがあったんです。街の中はどこか狭く感じたし、自然の中を走る方が圧倒的に面白かったんですよ。だから田舎を走りたいと思ったし、本場のアメリカへ行きたいと思うようになりました。
それに当時の日本では、マウンテンバイクという競技自体がまだ新しい存在でした。周りに同じことをやっている人も少なかったですし、正解もありません。でも、だからこそ面白かったんでしょうね。

世界選手権で見た、もうひとつの世界
−−高校卒業後に渡米し、マウンテンバイクの本場へ飛び込んだわけですが、そこではどんな世界を目にしたのでしょうか。
檀さん:全部が驚きの連続でしたね(笑)。
特に忘れられないのが、初めて世界選手権へ出場した時です。日本でレースに出場すると、観に来てくれるのは彼女と親くらいでした。でも、世界選手権はスケールがまったく違って、観客が7000人くらいいたんです。当時の僕が知っていた日本では、ちょっと考えられない光景でしたね。
みんながレースを観に来ていて、選手たちは子どもたちの憧れの存在になっている。「何だ、この世界は!」って、本当に衝撃を受けました。当時、日本ではまだ始まったばかりだったマウンテンバイクが、アメリカではすでにひとつのカルチャーとして根付いていました。
プロの選手たちは子どもたちの憧れの存在で、みんな良い車に乗っていて、たくさんの人に応援されている。マウンテンバイクで生きている人たちが、本当にそこにはいたんです。好きなことを仕事にして生きていくなんて、当時の僕にはまだ現実味がありませんでした。
でも、その景色を目の当たりにした時に、「こんな生き方があるんだ」と思ったんです。マウンテンバイクがただの趣味やスポーツじゃなくて、人の人生そのものになっている。
当時の僕にとっては、それが何より衝撃でしたね。
−−その体験をきっかけに、プロを目指す気持ちが強くなっていったのでしょうか。
檀さん:そうですね。実は最初からプロライダーになろうと思っていたわけじゃないんです。当時はインストラクターという仕事があることを知っていたので、その道を考えていました。でも、アメリカでプロの世界を見てしまったら、もっと上を目指したくなったんです。
あの人たちみたいに走れるようになりたい。
世界のトップ選手たちと同じ舞台で走ってみたい。
気付けば、そんなことばかり考えるようになっていました。

日本での成功、そして違和感
アメリカでの挑戦を続ける中で、多くの経験を積んだ檀さん。その後、日本へ帰国すると、国内ではちょうどマウンテンバイクブームが訪れます。すると、イベントへの出演や雑誌の取材、企業との仕事など、檀さんのもとにはさまざまな依頼が舞い込むようになりました。当時、日本でもマウンテンバイクへの注目が高まり始めていたこともあり、気付けば全国を飛び回るような日々を送っていました。
仕事にも恵まれ、傍から見れば順風満帆に見えたかもしれません。しかし、そんな日々を送る中で、檀さんの中には少しずつ違和感が生まれ始めていました。
檀さん:当時は本当にすごかったですよ。 イベントへ行けば驚くほどお金をいただけたし、仕事もたくさんありました。今考えると恥ずかしいんですけど、若かったので一晩で全部使っちゃったりしていましたね(笑)!
でも、しばらくすると、どこか違和感というか、心は落ち着かなかったんです。イベントなどのお仕事もたくさんいただいて、日本では評価してもらえているけど…お金を稼ぐことよりも、もっと先にある何かを見てみたいと思うようになっていました。
本当に自分が目指したかった場所は、まだ別のところにあるんじゃないか。そんな気持ちが強くなっていって、もう一度アメリカへ挑戦することを決めました。
そしてアメリカで経験を重ねる中で、「本当に世界のトップを目指すならヨーロッパだ」と感じるようになったんです。

世界との差を知ったスイス時代
−−そして実際にヨーロッパへ渡ることになるんですね。そこで初めて見た世界は、またこれまでとはまた違った景色だったのでしょうか?
檀さん:ヨーロッパの選手たちは、何から何まで別格でしたね。一緒に走ると、まずスピードが全然違うんです。
もちろん、僕たち日本人選手にも技術がなかったわけではありません。ジャンプだったり、魅せる走りだったり、得意な部分はありました。でも、レースになるとまったく違いました。
スタートした瞬間から、ヨーロッパの選手たちはどんどん先へ行ってしまう。こちらも必死についていこうとするんですけど、気付けばもう背中も見えなくなっている。「こんなに差があるのか」って、本当に衝撃でしたね。
−−実際に世界のトップ選手たちと走る中で、その差はどのようなところにあったのでしょうか。
檀さん:一番大きかったのはフィジカルでした。ヨーロッパの選手たちは、とにかく走り続けられるんです。レースの最後までスピードが落ちない。
当時の僕たちは、技術さえあれば勝負できると思っていた部分もあったんですけど、そんなレベルじゃなかったですね。ヨーロッパで世界との差を痛感してからは、トレーニングの考え方も全部変えました。
でもどんなに必死にやっても、なかなか結果が出ないんです。情けない姿は見せないようにしていましたけど、本当に苦しくて 、毎日泣きながらトレーニングしていました。それでも、そう簡単には結果は出ませんでした 。ワールドカップへ出場しても予選落ちが続いて、日本ではトップクラスと言われていた僕たちが、世界ではまったく通用しなかったんです。
−−それだけ結果が出ない時期が続くと、心が折れてしまってもおかしくないですよね。それでも挑戦を続けられたのはなぜだったのでしょうか。
檀さん:心が折れそうになったことは何度もありましたよ(笑)。でも、その頃ずっと励まされていた存在がいたんです。それが、メジャーリーグで奮闘する野茂英雄さんでした。
ちょうど同じ頃、野茂さんがアメリカで活躍していて、当時はまだ、日本人が海外のトップリーグで活躍すること自体が今ほど当たり前ではない時代でした。
そんな中で、野茂さんがメジャーリーグの舞台で堂々と戦い、結果を残している姿を毎日のようにテレビで観ていました。日本人が世界のトップレベルで戦っている。その姿を見るたびに、「自分もまだ頑張れるんじゃないか」って思えたんです。
競技は違いますけど、海外で挑戦している日本人として、本当に勇気をもらっていましたね。だから簡単には諦められなかったんです。
そうやって一年以上苦しい時期を過ごして、ようやくワールドカップのシード権を獲得することができました。あの時は本当に嬉しかったですね。世界のトップレベルで戦う舞台に立つことができた。
日本人でもやれるんだという手応えもありました。ようやく、自分も世界で戦うプロライダーのスタートラインに立てた気がしたんです。

チャンピオンではなく、やんちゃ坊主を育てたい
世界を転戦し、5カ国でチャンピオンを獲得するなど、日本を代表するプロライダーとして活躍した檀さん。世界のトップレベルで戦うという夢を叶え、その経験を積み重ねていきました。だからこそ、次はその経験を若い世代へ伝えていくのだろうと勝手に想像していました。
−−世界のトップレベルで戦うという目標を達成されたあと、次はどんなことを考えていたのでしょうか。
檀さん:実はその頃、「プロライダーを育ててください」という話はたくさんいただいていたんです。世界を転戦してきた経験もありましたし、自然な流れだったのかもしれません。でも、不思議とその気持ちにはなれなかったんですよね。
−−そうだったんですね。
檀さん:マウンテンバイクを通して自分が経験してきたことを振り返ると、僕の中で大事だったのは競技の結果だけじゃなかったんです。アメリカへ行ったこともそうですし、自然の中で過ごした時間もそうですし、人との出会いもそうでした。
マウンテンバイクがあったからこそ、自分の世界が広がっていった。もちろん競技として結果を残すことも素晴らしいことです。でも、僕自身がマウンテンバイクからもらったものは、それだけじゃなかったんですよ。だから、次はチャンピオンを育てようという気持ちにはならなかったんです。

−−檀さんの中では、もっと別のものを伝えたいという気持ちがあったんですね。
檀さん:そうですね。僕はマウンテンバイクのチャンピオンを育てたかったわけじゃなかったんですよ。 育てたかったのは、やんちゃ坊主だったんです(笑)。
僕の言う「やんちゃ坊主」って、ただいたずら好きな子どものことじゃなくて、外へ飛び出していって、色々なことに興味を持って、自分で遊びを見つけられるような子どもたちです。
マウンテンバイクは、自然の中でやるスポーツなので、自然の良さも怖さも知らなきゃいけないし、自然と仲良くしなきゃいけない。 自然を大切にする気持ちも必要です。 そういうことを知らないと、本当の意味では楽しめないと思うんです。競技の技術だけを教えることもできるかもしれないけど、僕が本当に伝えたかったのは、その前段階の考え方や向き合う姿勢でした 。
だから僕は、チャンピオンよりも、まずは「やんちゃ坊主」を育てたかったんですよ。
1999年にスタートした少年キャンプは、今年で27年目を迎えます。
世界のトップレベルで戦い頂点を極めた檀さんが、最終的に辿り着いたのは「チャンピオンを育てること」ではなく、「やんちゃ坊主を育てること」でした。
その言葉の奥には、自然の中で遊ぶことの大切さや、人として成長することへの想いが込められています。
では実際に、その少年キャンプではどのような時間が流れているのでしょうか。
Vol.2では、27年間続く少年キャンプの現場を通して、檀さんが子どもたちに伝え続けていること、そして檀さんが考える「生きる力」について、さらにお話を伺います。
-infomation-