2018.11.01. | 

[第2回]藤野のお山の食まわり:おすそ分けが終わらない

移住者があとを絶たない神奈川県の山あいのまち、旧藤野町。12年前に移住し、現在は山奥の古民家に暮らすライター・平川まんぼうが、藤野での、食にまつわる日々を綴ります。

夏の間じゅう、お隣さんが野菜をくれた。

お隣さんは、厳密には今は空き家。もう少し都市部で暮らしているのだけれど、おじさんが、畑仕事と鶏の世話をしに、ほぼ毎朝、仕事の前にやってくる。私が起きて、庭のベンチでひなたぼっこをしていると、エンジンがかかる音がして帰っていく。私はまだ、起きたばかりでムニャムニャしているというのに、おじさんは、もうひと仕事終わったところで、さらに、これから会社に出勤するのである。私には到底できないことで、だから、とっても尊敬している。

おじさんのおかげで、今年はナスとピーマンとじゃがいもは、1度もストックが切れることがなかった。なくなる頃になると、袋いっぱいに持ってきてくれるからだ。たまに、トマトやインゲン、きゅうりやししとうも入っている。私がいないときは玄関に袋がドンと置いてある。いつぞやは天ぷらにして持ってきてくれたこともあった。おじさんは、料理までも得意なのだった。

基本もらってばかりではあるのだけれど、あんまりもらうとお返ししたくなるのが、人の常だ。親戚からたくさん届いたおいしいお蕎麦や、取材で行った酒蔵の日本酒など、何かあげられるものが出てくると、お渡しした。

すると、また野菜が届くのである。

田舎の暮らしは、これが当たり前だ。いつも、誰かが気にかけ、世話をし、ときには助けてくれる。

以前に住んでいた、もう少し駅に近いお家のときもそうだった。そこは、藤野のなかでもかなりの住宅街だったのだけれど、ご近所がとても仲が良くて、しょっちゅういろいろなものをいただいた。ひとり暮らしの私の食生活を心配してか、おかずのおすそ分けをいただくこともあった。

そしてもちろん、いただいたら、私も何かお返しをしたいと思ってしまうのだ。けれど、そうするとまたそのお返しにと、何かが届いてしまう。4回ぐらいラリーが続くと、どちらからともなく「おすそ分けが終わらないですねぇ」と笑い合う。本当に、ちっとも終わらないのだ。

おすそ分けというのは、贈り物とはちょっと違う。食べきれないものだったり、ちょっとしたお土産を、近しい人たちに分けているだけ。無理のない範囲で、よければどうぞという「ほんの気持ち」として届けているだけだ。

おすそ分けで贈り合うのは、物だ。しかし、そこにはふわっと流れる風のような、心地よい気持ちのやりとりがある。目を閉じないと気づかないほどの「ほんの気持ち」の贈り合い。そういう「気持ち」を、具体的な「物」として形に表すのが、おすそ分けなのだと思う。小さな感謝の積み重ねが、近しい人々とのつながりをつくってくれている。

何かをあげる、あるいは何かをしてあげるということを、このまちの人は厭わない。たとえ見返りを求めていなくても、それがやがて自分に返ってくることを、経験としてわかっているのではないかと思う。

下手したら、おすそ分けだけで生きられるな、とたまに思う。それは、とてつもない安心感だ。

平川友紀

ライター / 平川 友紀

リアリティを残し、行間を拾う、ストーリーライター/文筆家。1979年生まれ。20代前半を音楽インディーズ雑誌の編集長として過ごし、生き方や表現について多くのミュージシャンから影響を受けた。2006年、神奈川県の里山のまち、旧藤野町(相模原市緑区)に移住。その多様性のあるコミュニティにすっかり魅了され、現在はまちづくり、暮らしなどを主なテーマに執筆中。通称「まんぼう」。