
暮らしに根付いたごちそう「遠野ジンギスカン」
今回紹介するのは、「遠野ジンギスカン」です。ジンギスカンと聞けば、多くの人が北海道を思い浮かべるでしょう。しかし、実は岩手県遠野市は人口あたりの羊肉消費量が北海道と争うほどの、全国有数のジンギスカン文化圏なのです。
岩手県のローカルフードと聞けば、多くの人が思い浮かべるのは盛岡冷麺や、前沢牛をはじめとする「牛の焼肉」ではないでしょうか。実際、岩手は全国有数の畜産県として知られ、牛肉文化が深く根付いています。
ところが、遠野では少し事情が違います。この地域で長年親しまれてきたのは、牛肉ではなく羊肉なのです。遠野にジンギスカンが根付いた背景には、この地域の暮らしがあります。戦後、羊毛需要の高まりを背景に羊の飼育が奨励され、遠野では羊肉が比較的身近な食材となりました。
また、遠野は自然豊かな土地でもあります。休日には家族や親戚、近所の人たちが屋外で食卓を囲む文化が育まれ、その中心にあったのが「ジンギスカン」でした。つまり、遠野のジンギスカンは、「外でみんなと食べる料理のひとつ」として発展してきたのです。北海道でジンギスカンが観光グルメとして知られる一方、遠野ではあくまでも家族や地域の人々をつなぐ日常のごちそうとして受け継がれてきました。

じっくり漬け込まれた「タレ」の甘い誘惑
遠野のジンギスカン最大の特徴は、生ラムではなく、あらかじめ特製のタレに漬け込んだ羊肉を焼くこと。戦後間もない頃、市内の精肉店が羊肉を食べやすくするため、醤油をベースにした甘辛いタレへ漬け込んで販売したところ評判となり、やがて遠野の家庭へ広まっていきました。
現在でも、老舗精肉店の味が地域のスタンダードとして受け継がれています。家族や友人が集まり、庭先や河原、公園などで鉄鍋を囲む。それが遠野では昔から当たり前の風景です。焼き網ではなく、中央が盛り上がった専用鍋で羊肉を焼き、その周りではキャベツや玉ねぎ、もやしなどの野菜が肉汁をたっぷり吸い込みます。
ジュウジュウと音を立てながら焼き上がる羊肉を頬張ると、最初に感じるのは醤油ダレの香ばしさ。そのあとから羊肉ならではの旨みがじんわりと広がります。くさみは驚くほど少なく、甘辛いタレが肉の風味をやさしく包み込むため、「ラム肉は苦手」という人でも食べやすい仕上がりです。肉から落ちた脂とタレを吸った野菜もまた格別。キャベツの甘みと玉ねぎの香ばしさが加わることで、最後まで箸が止まりません。ご飯のおかずとしてはもちろん、冷えたビールとの相性も抜群です。

民話の里に息づく、もうひとつの「文化」
遠野といえば、『遠野物語』やカッパ伝説など、民話の里として知られています。しかし、この街の魅力は語り継がれる昔話だけではありません。神楽や祭りが受け継がれ、人々が季節ごとに集い、鉄鍋を囲んでジンギスカンを味わう。そんな何気ない日常もまた、この土地が育んできた大切な文化のひとつです。
全国的には北海道の料理という印象が強いジンギスカンですが、遠野には遠野ならではの歴史と食べ方があります。歴史ある早池峯神社の祭りを訪れたあと、香ばしいタレの香りが立ち上る鉄鍋を囲めば、この土地の人々が守り続けてきた暮らしの温もりを、きっと味覚から感じられるはずです。