2018.11.27. | 

[Vol.2]農家も地域もおいしい関係がここに。神奈川県・藤野「ビオ市」

神奈川県相模原市・藤野地区(旧藤野町)のファーマーズマーケット「ビオ市」には、毎回10数軒の農家さんが出店しています。そのビオ市立ち上げのきっかけともいえる農家が、お隣の相模湖地区(旧相模湖町)で自然栽培野菜をつくる「ゆい農園」の油井敬史さんです。就農5年目になる油井さんの地域との関わりと、これまでの道のりを伺いました。

「すげーうまい!」という仲間の言葉が自信につながる

初めてゆい農園の人参を食べたとき、そのおいしさに衝撃を受けました。とても甘く瑞々しく、変な土臭さもまったくない。人参本来が持つ自然の甘味が最大限に引き出され、野菜そのものの力強さを感じました。あとにもさきにも、こんなにおいしい人参は、食べたことがありません。

若い頃はバーテンダーとして働き、仙台でセレクトショップを経営していたこともあったという油井さん。そのお店を閉めると同時に、以前住んでいた藤野周辺に戻ってきました。そして仕事を探していたときに、すぐ近くの有機農家が研修生を募集しているのを知りました。

 

油井さん:その研修先の人参が、すごくおいしかったんです。それで「これがつくれるようになったらおれも食っていけるかもしれない」と思ったのが、農業を始めるきっかけでした。

 

ところが、研修先の事情により1年半後に突如解雇に。その代わりに畑を1箇所もらえることになり、ほかに道はないと、半ば強制的に就農しました。

そこで、周りの人を巻き込むさまざまな流れを生んだのは、人参をはじめとした油井さんのつくる野菜のおいしさでした。

 

油井さん:どの時期に何を蒔けばいいかはわかっていたので、とりあえずやってみようと始めました。そしたら、1年目につくった人参とほうれん草が、みんなに「すげーうまい!」と言ってもらえたんですね。それで「あ、これでいいんだ」と思えたんです。

 

油井さんが始めたのは、肥料を使わず、畑に生えた雑草を漉き込むだけという自然栽培。そして「こんなにおいしい野菜がつくれるのに、食っていけないなんておかしい!」と、周りの仲間たちが油井さんを支援するようになっていきました。

 

数珠つなぎに始まったさまざまなプロジェクト

まず始まったのが、現ビオ市事務局の土屋拓人さんと、土屋さんの古くからの友人で、現NPO法人アーバン・ファーマーズ・クラブの代表、小倉崇さんとともに始めた「ウィークエンドファーマーズ」でした。

「ウィークエンドファーマーズ」は、週末に都会の人たちにゆい農園の圃場に足を運んでもらい、農業体験を楽しんでもらうプロジェクトです。土に触り、自分で収穫して、その場で獲ったばかりの野菜を調理してみんなで食べる。そのおいしさは格別で、始めてみると、毎回たくさんの人で賑わうようになりました。

そこから数珠つなぎにさまざまなプロジェクトが立ち上がります。

こうした取り組みを知ったシブヤテレビジョンの人から「渋谷O-EAST(ライブハウス)の屋上を自由に使ってくれないか」という話が舞い込んだのです。3人はなんと、そこを畑にしてしまう計画を立てます。

一方で地域では、これまでなかったファーマーズマーケットをやりたいという話が盛り上がり、土屋さんが先頭に立ってビオ市がスタートしました。

さらに、渋谷の畑の活動から、恵比寿ガーデンプレイスにも畑がつくられることになり、定期的に開催されるマルシェもスタート。ビオ市の農家さんが野菜を販売するようになりました(現在休止中)。また、そこからスピンアウトする形で始まったのが、アーバンファーミングを推奨し、大きな盛り上がりを見せている「アーバン・ファーマーズ・クラブ」です。油井さんも正会員として、月に1回程度、畑づくりのお手伝いをしているそう。

油井さんのつくる野菜がおいしかった。

ただそのことが、これだけのプロジェクトを生み出しました。地域には、地域で育てられた安心安全なおいしい野菜を提供するきっかけになり、果ては東京の農シーンを盛り上げることにもつながっていったのです。

 

地域の農家が地域を賄うのが、いちばんいいスタイル

こうしたさまざまな活動を経て、油井さんは、地域の人とつながりを持ち、地域で購入してもらうことの強みと面白さを感じています。

 

油井さん:地域で売るのは、非常に楽なんです。顔も知ってるし、好みもわかってるし、失敗した話も普通にできる。

たとえば、遠くのファーマーズマーケットで物を売っても、どこかのお店で物を売るのとあまり変わりがない気がします。ただ通りがかりの人をつかまえて物を買ってもらうだけでは、リピートはしてもらえません。やっぱり、話ができないとダメなんですね。

だから、地域の農家が地域を賄うっていうのは、いちばんいいスタイルだと思います。コストや手間に関してもそうです。ビオ市なら、袋詰めしなくても物が売れます。しかもありがたいことに即完売で、この間買ったらおいしかったからってリピートしてくれるんです。そういう関係ができているというのは、最強だと思います。

 

さらに油井さんは、地域でのつながりがある限り「最低限、死ぬことはない(笑)」と話してくれました。

 

油井さん:たとえば今、大和家(藤野にある中華料理屋)との取引は、ゆーる(※藤野内で一部流通している紙幣型の地域通貨)でやっているんです。うちの野菜をゆーるで買ってもらって、僕はゆーるで大和家さんのご飯を食べる。そうすると「これってもうゆーるも要らないんじゃない?」みたいな話になってきますよね(笑)。それが始まったら、野菜を育てて提供できている限り、お金がなくてもなんとかなる。やっぱり、地域は強いんです。

 

ビオ市によって見える化した地域と農業のつながりは、通貨の概念も飛び越えた新しい価値をも、もたらしているのです。

 

誰でも自然栽培の野菜が食べられるようにしたい

ところで、ゆい農園の野菜は自然栽培ですから、それなりのお値段がしてもいいものです。しかし実際のところ、どれもそれほど高くありません。これには、油井さんの強いこだわりがあります。

 

油井さん:野菜はみんなが食べるものだし、誰だっておいしいものが食べたいですよね。それなのに、自然栽培の野菜がお金持ちしか買えない野菜になるのはとても嫌でした。とはいえ商売だから、僕も最低限は稼がないといけない。そのために生産を安定させる勉強もして、ある程度スケールメリットが必要なこともわかってきました。そのために畑を広げていきたいのもあって、今年の春、トラクターを買いました。

 

トラクターを購入したのは、4年かけて「農家としてやっていける自信がついたこと」も大きかったと言います。

 

油井さん:どうやって育てたらいいかわからないときにたくさんつくっても、結局売れなくてゴミになってしまうだけ。だから、まずは全部、手作業で始めました。まぁ、買うお金もなかったんですけどね(笑)。その間に、手間がかかっても、自分が楽しくつくれる作物をずっと探していた感じです。それをどうやったら、ほかと違いができるぐらいおいしく育てられるかを試行錯誤していました。

で、農家としてこれで大丈夫だって思えるようになったから、トラクターを買うことにしたんです。

 

年を追うごとに、生産量も安定し、取引先や販売先も増えていきました。そして無事、新規就農者への給付金が終了したあとも、農家としてやっていける目処が立ったそうです。油井さんは言います。「これでようやく就農できた気分です」と。

 

周りの人のおかげでなんとかなってきた

油井さんは、昔からお金儲けが下手だと言われていたそうです。そんな油井さんが、みんなが買える価格で提供したいという自分の信条を曲げることなく、きちんと採算が取れるようになっていった背景には、多くの仲間の支援と、地域の人々の応援とがありました。

 

油井さん:むしろ、それしかない(笑)。本当に人のおかげでなんとかなっている感じです。

僕、すぐサボるんですけど、ここにいるとみんなに見られてる感じもあって、やらなきゃいけないって思うんです。それに藤野っていろいろと「できる人」が多いんですよ。僕は何もできなかったから、このままじゃこんなに面白いところにいられなくなる、それは嫌だっていうので頑張れた感じもありますね。刺激になってるんです、地域の人たちの存在が。

 

支えられ、ときには刺激を受け、続けてきた農業。5年間の積み重ねは確実に油井さんの力になってきました。ゆくゆくは人を雇うことなども考えていきたいそうです。

 

油井さん:僕も昔は、周りの人に仕事をもらってきました。だから、自分ができるようになったら人にも振りたいと思っています。要は、持っているものを何に使うのか、です。

みんなに喜んでもらえるものは、つくれるようになった。出せば買ってもらえるし、おいしかったって喜んでもらえる。そしたら、それができる人を増やすことにお金を使ったほうが面白いよなと思ってるんです。

 

ずっと支えられてきたからこそ、自分もできることがあるなら還元したい。その「お互いさま」の心は、人と人のつながりが強いこの地域だからこそ、芽生えたものかもしれません。

地域を支え、地域に支えられ、ますます広がっていくだろうゆい農園の野菜たち。今後の展開がとても楽しみです。(つづく)

 

–Infomation–

ビオ市

WEB : https://bio831.com/

アーバン・ファーマーズ・クラブ

WEB : http://urbanfarmers.club/

ライター / 平川 友紀

リアリティを残し、行間を拾う、ストーリーライター/文筆家。1979年生まれ。20代前半を音楽インディーズ雑誌の編集長として過ごし、生き方や表現について多くのミュージシャンから影響を受けた。2006年、神奈川県の里山のまち、旧藤野町(相模原市緑区)に移住。その多様性のあるコミュニティにすっかり魅了され、現在はまちづくり、暮らしなどを主なテーマに執筆中。通称「まんぼう」。

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