SERIES
Food Future Session
2023.03.28. | 

[Vol.1]人口1,100人の戸馳島でアボカドを育て、100年後も魅力溢れた島にする【Tobase Labo × Mo:take】

「Food Future Session」という壮大なタイトルで展開する、×Mo:takeの座談会。今回は、熊本県の八代海に浮かぶ戸馳島(とばせじま)で「100年後も持続可能で魅力溢れた唯一無二の島作り」を目指している「Tobase Labo(トバセラボ)」の中川裕史(なかがわ・ゆうし)さん、下田恭平(しもだ・きょうへい)さんとMo:takeの小野正視の座談会です。

Vol.1では、戸馳島について、そして知っているようで知らないアボカドについて、そして事業の始まりから紐解いていただきました。

「娘が成人したときには、この島はどうなっているのか」
人口が減り続ける島に残った若者が、危機感を抱いた

小野:まずは戸馳島について教えてください。

 

中川さん:熊本県の観光地・天草の入口にある人口1,100人ほどの島です。農業が盛んで、洋ラン、ミカンの産地として全国的に有名です。元々は3,000人ほどの住民がいましたが減ってしまい、若者がほとんど残っていません。そこで島を活性化しようとトバセラボを始めました。

 

小野:お二人は戸馳島の出身でしたね。

 

中川さん:私は戸馳で生まれ育ちましたが、

 

下田さん:僕は熊本の県北、福岡に近い長洲町です。

 

小野:中川さんは、島の人口も若者も少なくなる中で、もっと戸馳を盛り上げていこうと思ったきっかけは何でしたか?

 

中川さん:小さい頃から島が好きで、島から出たくないとは思っていましたが、島おこしをしたいと思ったのは、娘が生まれた3年半ほど前です。この子が成人した時にこの島はどうなっているんだろうと考えたらすごく危機感を感じ、今から動かないと間に合わないと思いました。地域のために動こうと決意して、少しずつ動き始めました。

 

小野:奥さまも島の方ですか?

 

中川さん:熊本市内です。妻の職場の熊本市内まで車で1時間くらいの距離ですが、結婚前に「(熊本市の)真ん中ぐらいの場所に住みたい」と言われました。でも、自分は島から出たくない。そこで結婚する時に「島に住まないんだったら結婚しない」と言ったんです(笑)

そうしたら、妻が「わかった」と折れてくれて。その代わり「私の願いごとを叶えてください」と言われましたが、まだ一つも叶えてないです(苦笑)

 

下田さん:熊本県民すら知らないような島ですからね。

 

中川さん:洋ランが盛んなので、ご年配の方々は、戸馳と言ったら蘭とわかりますが、50歳から下の方はもう全く知らないですね。

 

下田さん:若宮海水浴場という熊本市から一番近い海水浴場もあって、気軽に行けます。海水浴場に行ったことがあっても、そこが戸馳島と認識していない人も多いと思います。

 

中川さん:本当に何もないところです。魅力がないわけではなく、何もないことの力が強いです。だから島の子たちって、ものすごく何かを創造することが多いと思います。

小さい頃は岩ガキを食べたり、なまこを拾って食べたり、夏休みや午前中は部活で、午後からは自然と海に集まって遊んだりして過ごしてきました。僕としてはこれが最高なんですが、熊本市内や都会の人からすると、ほっこりする感じ、日常を忘れる感じがあると思います。

信号機もないですし、ストレスフリーです。制約とか縛りも少なくて、のびのび生きられる。あるとしたら郵便局、コンビニで、買い物は車で30分くらいかけて隣町のイオン系列のお店やドラッグストアに行きます。いい意味で、染まっていない場所ですね。

 

ハワイで出会ったアボカドを
戸馳島で栽培しようと思った理由

小野:それでは、トバセラボを立ち上げた経緯やきっかけをお聞かせください。

 

中川さん:実家が洋ラン、ミカンの農家でした。自分は一度別の道に進みましたが、1年間学校に通った時に「ちょっと違うな」と思い、同時に「誰もやったことがないことをやりたい」というすごくアバウトな思いも出てきました。

それまでは2番が気持ちよくて、裏方が良かったのですが、急に一番になりたい欲がポンっと出てきて。それで通っていた学校も辞めさせてもらい、ちょうど実家が繁忙期だったので、手伝わせてもらいながら農業に触れ、楽しいなと思ったのが最初です。

そして、このまま島で農業をやっていても見聞が広がらないし狭いなと思い、ハワイに1年半の農業留学をさせてもらいました。そこで出会ったのが、今のトバセラボのメインになるアボカドとバニラビーンズです。アボカドって、世界には2,000種類もあるんです。帰国して半年で資金調達をして、ハウスも準備し始めました。

 

小野:思いついてからの行動がものすごく速いと感じますが、周囲に心配されませんでしたか?

 

中川さん:もちろんありました。でも、ハワイでアボカドの品種の多さに驚かされて、形も色も味も違って面白いのになぜ日本で育てていないのか、そして世界の産地では何が起きているかを学んでいった時に、日本でやるべき理由がたくさん出てきました。

 

小野:当時は、日本でアボカドを栽培している農家はいなかったのでしょうか。

 

中川さん:ほとんどいませんでした。当時アボカドは、100本の苗を植えたら半分は枯れると思え、と言われていた時代でした。なぜなら、ミカンと違って栽培技術がないし、隣の農家に話も聞きに行けず論文もないので、自己解決するしかありません。だからやり方が間違っていないのに、なぜ枯れたかわからないまま、で終わっていました。

でも僕は最初、300本をポンっと植えました。そうしたら3本しか枯れなかったんですよ。同級生や周りの農家さんからは「あいつ、外国から変なものを持ってきたけど、アボカドって何?」みたいな。

 

小野:アボカドってそんなに認知されてませんでしたか?

 

中川さん:地方では知られてなかったですね。2018年6月に植え始めましたが、テレビで「世界一栄養価の高い果物」と言われたのが、その年の冬だったので。

 

小野:ちなみにアボカドって、当たり外れが結構多いですよね。

 

中川さん:黒くてゴムみたいに硬い“ゾンビアボカド”と、筋が多かったりといった奇形種があります。アボガドは輸送のために完熟する前に収穫するのですが、そうすると奇形になりやすいんです。あと、お店でアボカドを選ぶときに、触ってしまう人が多いのですが、これもやめましょうと伝えていかないといけないですね。完熟の見分け方は、ヘタの部分がポロッと取れたり、押し込めるようになっているものです。ぜひこのタイミングで食べてほしいです。

 

知ってる? アボカドの国産率と
世界の生産地の深刻な現状

小野:最初にアボカドを植えた時、300本をポンと植えたという話がありました。結構な投資だと思いますが、どれくらいの投資になったのでしょうか。

 

中川さん:ビニールハウスの骨組みは貸してもらえたので、ビニールなどのハウス資材、灌水の自動監視システム、土、ポットなど、全体で600万円ほどかかりました。収穫できるようになるまで3年間は絶対に利益が出ないので、400万円を運転資金として、1,000万円借り入れてスタートしました。

 

小野:怖さはありませんでしたか?

 

中川さん:その時は怖いとは全く思っていませんでした。むしろ怖いと思う前に注目してもらえたので、周りの黄色い声援で感覚がおかしくなっていたかもしれないですね(笑)。

 

小野:アボカドの栽培に向いているのはどういう気候なのでしょうか? 日本、そして戸馳は向いていますか。

 

中川さん:栽培に大量の水が必要なので、雨季寒気がなく、年中安定した雨が降る気候は向いています。5年前はハウスでしかできませんでしたが、温暖化の影響で今は外でも栽培できるようになりましたし、世界的にそういう産地は増えて来ていると思います。

 

元々、世界で一番の生産国はメキシコです。1997年にアメリカがメキシコ産アボカドの輸入を解禁したこと、フルーツの中で最も栄養価の高い食べ物としてギネス世界記録として認定されたことから、ここ20年で爆発的に消費量が増えました。しかしその結果、アボカドを栽培するための大規模農園が増加し、大量の水を必要とすることから、チリなどは深刻な水不足に陥っています。

ちなみに、国内で消費されているアボカドの国産の割合は0.016%しかありません。僕たちはそれを1%にできたらいいなと考えています。そうすれば、産地の負担を少しでも減らすことができるのではないか、という大きな夢を描いています。

 

次回は3/30(木)に公開予定です。
次回は、アボカド栽培以外のトバセラボの事業、そして中川さんと下田さん、二人の関係性についてもお話をお聞きしていきます。(つづく)

 

– Information –
Tobase Labo

ライター / 平地 紘子

大学卒業後、記者として全国紙に入社。初任地の熊本、福岡で九州・沖縄を駆け巡り、そこに住む人たちから話を聞き、文章にする仕事に魅了される。出産、海外生活を経て、フリーライター、そしてヨガティーチャーに転身。インタビューや体、心にまつわる取材が好き。新潟市出身

Mo:take MAGAZINE > Food Future Session > [Vol.1]人口1,100人の戸馳島でアボカドを育て、100年後も魅力溢れた島にする【Tobase Labo × Mo:take】