2019.01.29. | 

[第4回]藤野のお山の食まわり:餅を搗けば、正月がやってくる

移住者があとを絶たない神奈川県の山あいのまち、旧藤野町。12年前に移住し、現在は山奥の古民家に暮らすライター・平川まんぼうが、藤野での、食にまつわる日々を綴ります。

年末になると、必ずどこかしらからお声がかかる恒例行事がある。

「餅つき」だ。

多い年は、毎日のように餅を搗いている年もある。ご近所の方や地域の友人が集まって、使い込まれたかまどでもち米を蒸し、何十年と受け継がれている臼や杵で、何度も何度も餅を搗く。「よいしょ!よいしょ!」と掛け声がかかり、大人も子どもも代わる代わる杵を振り上げる。少しずつ米粒の形がなくなって、丸くて弾力のある餅が姿を表すと、みんなの顔も一気にほころぶ。冬の寒空に湯気がもくもくと上がり、気持ちよさそうに漂っている。

女性たちはできあがった餅をちぎって、素早く味をつけていく。きな粉やあんこなどのおやつ系、大根おろしに納豆、磯辺もちなどの食事系。それらが大きなテーブルいっぱいに並べられると、みんながうわーっとそのテーブルに群がって、お皿に好きな餅を盛っていく。それのまた、早いこと! 餅はたちまちなくなって、フーとひと息ついているうちに、また次の餅ができあがる。再びテーブルに並ぶ頃には、お腹いっぱいだったことも忘れてまた頬張ってしまう。なんでもつくりたてはおいしいものだが、できたての餅の柔らかさと甘みは、格別だ!

お腹がパンパンに膨れ上がったあとも、餅はまだ搗き続けられる。鏡餅やのし餅にして、持って帰るためだ。大きさも形も不揃いで、どこか愛嬌のある鏡餅が並び、どれを持って帰ろうかと選ぶのも、楽しみのひとつ。

年末に餅を搗くのは、こうしたお正月の準備という意味合いが大きい。今は鏡餅もスーパーで簡単に買える時代だが、昔はどこのうちでも、餅は搗くのが当たり前だった。特に藤野は、平地がない里山だ。田んぼがほとんどなく、普段の主食は小麦でつくるうどんだったというから、もち米は大変な貴重品だった。1年に1度の本当に楽しみな行事だったのだ。

今年、地元の方に初めて教わったことがある。餅を搗く合間に入れる「手つき」のコツだ。ただ餅をひっくり返しているだけかと思ったら、そうではないらしい。

力が足りずに底まで搗けていないときは、お湯で濡れた手で、ただ表面をポンと叩き、底まで搗けたときは、ひっくり返す。ポンと叩いているときは、タイミングが合わずにひっくり返せないだけかと思っていたのだが、じつは意味があったらしい。耳を澄ますと、底まで搗けているときと搗けていないときとでは、音がまったく違っているとわかる。

ひっくり返すのも、同じ方向ばかりではなかなか搗き上がらない。前後左右まんべんなくひっくり返し、頃合いを見て形を整え、全体をひっくり返してまた搗く。搗く人と手つきをする人が上手だと、餅は早く、おいしくできあがる。集中力と根気、おまけに体力もいる大変な作業だが、親戚の多い家だと、3升のもち米が一気に搗ける臼を使っていた家もあったという。昔の人は本当にすごいなと思う。

年末年始もあまり関係のない仕事をしているが、餅つきに参加すると「今年も終わりなんだなぁ」と実感し、一気に正月気分がやってくる。自然の様子や山の恵みから季節を実感することも多いが、里山では、人の営みからもまた、季節を伺い知ることができる。

ライター / 平川 友紀

リアリティを残し、行間を拾う、ストーリーライター/文筆家。1979年生まれ。20代前半を音楽インディーズ雑誌の編集長として過ごし、生き方や表現について多くのミュージシャンから影響を受けた。2006年、神奈川県の里山のまち、旧藤野町(相模原市緑区)に移住。その多様性のあるコミュニティにすっかり魅了され、現在はまちづくり、暮らしなどを主なテーマに執筆中。通称「まんぼう」。

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